友人と話していると、「あれ、うちとは全然家庭の様子が違うな・・・」とよく思います。
私の場合、小学校の時の門限は5時。中学校、高校の門限は6時。
夕方5時にサイレンがなる地域で育ちました。朝のアラームと同じくらい今でも苦手な音です。
門限を過ぎると、ドアチェーンがかかり鬼の形相で母が待っています。
もうなんだか疲れてしまって、小学校も高学年になると家にいることが増えていきました。
中学生になると少し友人の幅が広がっていきますよね。母はそれが気に入りませんでした。
うちの母は平気な顔して「あの子とは遊ぶな。」と言います。
たまに母は私の中学生時代を振り返っては「ひどい反抗期だった」と言います。
私は今でも何も間違った主張はしていなかったなと思います。
母とはとにかくたくさんぶつかりました。
その度に、叩かれ、お腹を蹴られ、時には吹っ飛んでいました。
幼い私は悔しさを噛み締めて泣いていました。
高校生、大学生になっても母はアルバイトを許しませんでした。
お小遣いももらえませんでした。
年に一度のお年玉が私の全てでした。
大した額はありません。遊びに行くこともできません。
友達の誕生日プレゼントを買うお金もありませんでした。
私は自分の家が大嫌いだったのに、家にいることしかできませんでした。
社会人一年目、必死にお金を貯めて、家を出ました。
今とても幸せです。
家賃は高いけれど、幸せです。
服も化粧品も、あんまり買えないけど幸せです。
それでもたまに実家に帰ります。
まだ自分でもその理由はわからないけれど、母のことは嫌いじゃないのかもしれませんね。
今日は華金。ずっとこの時間が続けばいいのにな!!
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